出る用があったので、iPadで写真を撮りたいと、用を済ませてから、梅田に行こうと電車に乗った。あまりにも暑いので冷房の効いた場所、天王寺はつい先日行ったし、最近の南 は、お呼びじゃない雰囲気があるし、北にした。時間的に電車の中はゆったりとした、快適な空間空間だった。隣の席に座った女性が、XXにこの電車が止まりますか?と声をかけてきた。止まりますよと返事して会話が、始まった。横に座っているので、はっきり見ているわけではないが、30才前後のごく普通な印象を受けた。でも話が普通ではなかった。子供の頃父親からDVを受け、そんな父親と離婚をしなかった母親の介護をしている。母親の病状が悪く、介護をしている自分を怒鳴り散らしている。自分も一時病気になり、今仕事のない状態である。この前死にたいと思い、実行したが、死にきれ無かった。この先どうなってもよいと思って、今日はXXに行こうと、なんの下調べもせず、とりあえずこの電車に乗ったとの事である。あまりにも深刻な話なので、福祉の助けを求めたらと答えると、条件が合わないと何の手も差し伸べてくれないとの返答だった。見ず知らずの人にこんな話をして申し訳ないと彼女、何の関係も無い人間だから、心の中を露吐して言葉にすることで、少しでも気が晴れればと私、そうこうしていると私の目的地に着いた。もう少し話を聞いてあげたい気もあったが、彼女に幸あれと心の中で祈りつつ電車を降りた。「老病苦死」の四文字熟語が、身近に感じる年齢になった自分だが、彼女のように若くしてこの言葉に直面するのは、本当に気の毒だ。