宋書等中国の歴史書に記されている五人の王、讃・珍・済・興・武を倭の五王と言う。賛は、応神or仁徳or履中、珍は、仁徳or反正、済は允恭、興は安康、武は雄略の各天皇にあたると考えられている。倭の五王を探していると、羽曳野市のホームページに遭遇したらこのように書いてあった。最近東洋陶磁美術館へ足を運び、「安宅コレクション」の宋や、高句麗の陶磁を鑑賞する機会が有り、連想ゲームのように倭の五王に興味が湧いてきた。友達のマンションが古墳の横にあり、話がはずむ中、子供の頃遠足で行った仁徳天皇稜は今はそう言わず、大仙稜古墳になっていると聞かされた。身の回りの生活や環境の変化がある中、歴史も変化していく当たり前の事なのかも知れない。歴史が変わるわけが無いと思うが、今の技術が、私達が教わった時の認識を変えていく。そのうち邪馬台国の所在地もわかるだろう。卑弥呼と倭の五王の結びつきを解き明かせる日が来るのを楽しみにしている。