チャレンジ

NHKカルチャーラジオ科学と人間で、「南極研究の今~南極観測60年によせて」第12回で白瀬中尉の話をしていた。その少し前にテレビで、ノルウェイのアムンセンとイギリスのスコットの南極点到着の熾烈な争いのドキュメント番組を見た。母国の名誉をかけて南極点を目指したスコットが、1911年12月14日にアムンセンに先を越され、1912年1月15日に南極点に到達するも帰路隊員全員死亡すると言う壮絶なドラマだった。スコットの1日遅れの16日白瀬中尉は、南極大陸に到達するも、南極点を断念する。全員無事で日本に帰国すると、大変な歓迎を受ける。政府が、補助金を支出せず、渡航費用は国民の義捐金に依った。帰国後、後援会が資金を遊興費に当てていたことがわかり、白瀬は膨大な借金を背負った。実写フィルムを抱えて日本は勿論、台湾、満州、朝鮮半島を講演して回り、20年をかけて渡航費用の借金の弁済に努め、その後昭和21年9月4日、床の間にみかん箱が置かれ、かぼちゃ2つと茄子数個、乾麺1把が添えられた祭壇を、弔問する人も少なく85才の人生を終えた。南極観測隊と言えば「タロとジロ」の樺太犬の「南極物語」の映画が有名で、白瀬中尉の名は微かな記憶しかない。生地の秋田県に「白瀬南極探検隊記念館」が建っているが、生存中に日が当たらなかったのが残念である。
南極の連想でペンギンの写真にしたが、手直しの必要を痛感した。それにこのタイトルをチャレンジしたが、初めは白瀬中尉のチャレンジ精神を書くつもりだったが、調べていくうち余りにも不遇な晩年の方が気になった。